心理学教本 東西心理学総論 第1集『心理学・心理療法の基礎を築いた三巨頭』第7章


第7章 アドラー心理学


1.はじめに                                   

アドラーは、欧米ではフロイト、ユングと並び「心理学界の三大巨頭」と称され、絶大な支持を誇る。

ユングと同様にフロイトの弟子と思われていることが多いが、アドラー自身が自分をフロイトの弟子だと認識していたという事実はない。アドラーは、1902年にフロイトが主催するウィーン精神分析学会に参加した古参の精神分析家であり、フロイトとアドラーは対等な共同研究者として精神分析の発展に力を尽くした。

アドラー心理学の基礎理論は、精神医学や臨床心理学よりも、学校教育や幼児教育、生涯学習といった教育分野、自己啓発の分野に大きな影響を与えた。それはアドラー心理学では、"やる気・意欲・継続力・目的意識"を指導者などが後押し(サポート)しながら高めていこうとする『勇気づけ』が重要な役割を果たしているからであると思われる。

アドラー心理学では、「勇気づけ」を重視する。現代のさまざまな問題行動の背後には、勇気をくじかれ、やる気、意欲、目的意識がない状態がある、と考える。

また、「共同体感覚」という価値観を大切にする。

「共同体感覚」というのは、共同体への所属感・共感・信頼感・貢献感を総称したもので(自分の居場所があり、仲間を信頼し、仲間の役に立とうとする感覚)、カウンセリングや教育の目標とされ、精神的な健康のバロメーターとみなされる。

自分の居場所がなく、自分のことしか考えず、周囲の人達を信頼せず、他者の役に立とうなどと考えない人(つまり、共同体感覚が乏しい人)は、精神的に不健康な可能性が高いと考える。

 

2.アドラー心理学の基礎~劣等感

 

アドラー心理学のことを「劣等感の心理学」ということもある。

人間の行動の原理は劣等感にあるという説で、人間の行動は「リビドー(性衝動)」によるものだというフロイトの説に異を唱える形で提唱された。

 

(1)劣等感はマイナスではない

 

アドラーは、劣等感を悪いもの、マイナスなものとは捉えない。

劣等感は、人間が集団を形成することと大いに関係し、あらゆる文化を生んだとアドラーは考えた。

アドラーの見解では、人間は自然界において、他の動物と比べ、大きな力や体を持っているわけでもなく、運動能力も飛び抜けて発達しているわけでもない。人間は、このように本来的に生物学的劣等性を持っている。そこで人間は、この生物学的劣等性を補うために集団を形成するようになったという。生物学的に劣等であるがゆえに、人間は社会を形成し、集団で生活していかなければ生きていけない。

さらに、力が弱いがゆえに、防御・攻撃のためや生活のために道具を創造し、体力の代わりに知性を発達させた。知性が発達すると、大自然・宇宙の中で自分が無力な存在であり、やがては死んでいくということに劣等感を持つようになり、芸術・宗教・哲学はそれを補うものとして生まれた、とアドラーは考えた。

「実際、私には、われわれすべての人間の文化は、劣等感情に基づいているとさえ思われる」(アドラー)

 

(2)個人の持つ劣等感

 

アドラーは「人間であることは劣等感を持つことである」と述べている。どんな人にも程度の差はあるが、劣等感はあるという。

 

劣等性・・・人の持つ器官、特徴、能力などを他人と比較して劣っているということ。

劣等感・・・劣っているということ(劣等性)に対して、負い目や恥ずかしさを感じ、無気力さを感じたり勇気をなくしたりすること。

 

例えば、背が低い、太っている、足が遅い、などという劣等性から劣等感が生じる。

上記で、劣等感に基づいて人間が文化を育んできたことを述べたが、個人についても、それは同様で、劣等感があるからこそ、劣等感を克服して、よりよい状態になりたいという思いで成長できると考える。

ここで重要なことは、劣等感を持った子どもに対して、その劣等性を批判したら神経症になる可能性が高くなり、逆に、勇気づけると、子どもは劣等性に対処するための意欲と勇気を持つようになるということである。このことがアドラー心理学において「勇気づけ」を重要視する理由である。

アドラーは『器官劣等性の研究』という著書において、劣等感が神経症の原因にもなれば、それをバネに成長することにもなると述べている。

 

 A.アドラーは人間の劣等感の起源には、医学的・身体的な器官劣等性があると考えていた。器官劣等性とは、10歳頃までに認識される恥辱・困難・不便を感じさせる身体疾患(身体的な欠点・障害・問題・奇形)のことである。人間は、目が見えない・耳が聴こえない・口が聞けないといったハンディキャップとしての器官劣等性を持っていると、他人より劣っているという劣等感を抱いて勇気を無くし自尊心を傷つけられやすくなる。特に、子供時代には『他人と違っているという身体的な疾患・障害・見た目の悪さ』が劣等感の原因になりやすい。上述した感覚器官の障害だけではなく、皮膚が炎症を起こして見た目が気になるアトピー性皮膚炎(慢性皮膚疾患)も『人前で肌を見せたくない』という劣等感の原因になるし、すぐに喘息発作が起きて運動ができなくなる気管支喘息も『自分は体力のない弱い人間だ』という劣等感の原因になる。

 アドラー自身が、幼少期には虚弱体質であり、せむし気味の自分のスタイル(容貌)に劣等感を持っていたので、自分が抱えていた幼児期以来の身体的コンプレックスから器官劣等性を着想したといわれる(サイト「Keyword ProjectPsychology」より引用)。

 

(3)劣等感への対処

 

劣等性に対して、できる態度や行動には、以下のようなものがある。

一つは、自分が劣等感を感じていることがらを鍛錬したり克服したりする。しかし、これは遺伝性の病気であったり器質的な虚弱体質であったりする場合には、上手くいかない。

もう一つは、自分が劣等感を感じているものとは異なる能力を使って、劣等性の補償を行おうとする行動パターンである。例えば、勉強が苦手で向学心がなかなか湧かない子供が、勉強ではないサッカーや野球の練習を頑張ってプロ選手を目指そうと決意することなどがこれに当たる。

最も好ましくない劣等性への反応として、自分で劣等性を克服したり補償したりすることを諦めて、「自分を守ってくれる他者に完全に依存する」という行動パターンがある。この場合には、社会適応性が著しく低くなり、他者に依存的かつ物事に消極的な性格行動パターンが定着しやすくなる。

 

(4)劣等感がマイナスに作用すると劣等コンプレックスが生まれる

 

上記でも述べたように、劣等感が必ずしもプラスに作用するわけではなく、マイナスに作用する場合もある。自分が過度に劣っていると考える態度によって、それは起こる。このような態度を劣等コンプレックスと呼んだ。

 

(5)劣等コンプレックス

 

コンプレックスの本来の意味は「いろいろな思考や感情が混じった複合体」という意味だが、今では一般的に、劣等感、劣等コンプレックスのことを指す。

劣等コンプレックスは、劣等感を受け入れられず、無意識にネガティブな感情と結びついているような反応である。「どうせ自分は体が弱いから......」という気持ちになってしまうようなものだ。

極度に恥ずかしがったり、臆病になったり、引きこもってしまうのも、劣等コンプレックスの現れである。これらは、自分の耐えがたい劣等性が人前にさらされることを避ける行動で、人に笑われることを避け、傷つくことを避ける行為である。

人間が生物学的劣等性を補うことで社会・文化を形成してきたというアドラーの理論から考えると、このように社会への関わりを断っていくことは、人間として「よりよく生きる」という補償ができない状態に自分の身を置くことになる。このように劣等コンプレックスは、劣等性のマイナスの現れであると理解できる。

 

(6)優越コンプレックス

 

 劣等コンプレックスの埋め合わせ(補償)として、自分が優れていると思う部分を強調し、心の安定を図ろうとする反応を「優越コンプレックス」という。

劣等コンプレックスを持つ自分を守ろうとして、または劣等コンプレックスの補償としての優越コンプレックスが原因で、次のような自分を守ろうとする反応(自衛反応)が現れる。

    ・言い訳をいう。

    ・他人の劣っている点を見つけて、見下す。

    ・相手にとって不必要な協力を自分から申し出る。

    ・失敗の原因を誰かのせいにする。

    ・障壁を心の中に作る(引きこもる)。

    ・自分がされた嫌なことを他の人にも行う。

   

(7)劣等コンプレックスの解消

 

 では、コンプレックスを持ってしまった人が基本的にどうすれば解消する方向へ向かうかという点について、アドラーは「コンプレックスに悩む人は、共同体感覚(社会的関心)が不足している」と言っている。

意識を自己ではなく社会へ向け、社会の中にある何らかの共同体のために、他の人と協力して人の役に立つ行動をすることによって、共同体感覚を高め、そのことで劣等コンプレックスが解消していくという。

 この作業は、サポートを受けながら進めていく(サポートの内容は後述)。

 

3.トラウマはあるのか

 

(1)過去の出来事が原因で今の不幸な自分がいるのか? ~トラウマ論~

 

例えば、社会でうまくやっていけない(人間関係がうまくできない)という状況(状態)の原因を「子どものころ虐待を受けたから、社会でうまくやっていけない」という過去の原因で見るとらえ方がある。

 「家が貧しかったから、ひねくれた性格になった」

 「学歴がないから、うだつが上がらない」

など、過去の出来事(原因)で今(現状)がこうだというとらえ方をする。多くの場合、今のマイナスの状況を過去のせいにする。

このようなもののとらえ方を原因論という。

心理療法の世界では、フロイトの精神分析がそうで、過去のことを思い出させ治療していく。トラウマ理論がそれである。

このような人たちは、「過去のせいで現状がこうだ」という言い方をするが、「今(現状)こうだから未来において○○できない」という言い方もする。

過去だろうが、未来だろうが自分がマイナス状況である、あるいはできないのは、環境や出来事、周囲の人のせいであるという責任転嫁をする。

これは劣等コンプレックスを補う「優越コンプレックス」である。

 

(2)トラウマ論を否定するアドラー

 

それに対してアドラーは、上記のようなトラウマ論を否定する。

家が貧しかった人すべてが、ひねくれた性格になるだろうか? そんなことはない。「家が貧しかったから、忍耐強い性格になった」という人もいるはずだ。

そうだとしたら、「家が貧しかった」ことが「ひねくれた性格」の原因ではない。

ここで、「家が貧しい」という条件は同じであっても、結果が「ひねくれた性格」、「忍耐強い性格」という違いが出てくるのはなぜかを考えてみる。

それに対してアドラーは、その出来事をどう捉えるか、どう意味づけをするか、あるいは自分がどういう目的・目標を持つかで、その結果は違ってくると言う。

「学歴がないから、うだつが上がらない」という例をとってみる。

「学歴がないから」ということが原因で「うだつが上がらない」のではなく、「学歴がない」というのは条件に過ぎず、「学歴がない」ということと「うだつが上がらない」の間に、ある種の「もののとらえ方、目的・目標」があり、その結果「うだつが上がらない」という状態・状況がある。

「学歴がない」→「もののとらえ方、目的・目標」→「うだつが上がらない」

ということである。

例えば、「とらえ方、目的・目標」の部分が、「学歴のない人間はダメである」というとらえ方をしてしまうために、うつうつとしてうだつが上がらない、という場合もあるだろう。

また、「努力したくない」(という目的)のために、「学歴がない」ことをうだつが上がらないことの理由として持ち出してくる(本人が意識・自覚している、していないにかかわらず)。普通の言い方をすれば、うだつが上がらない理由を、自分が努力しないからでなく、学歴がないことのせいにしている、ということだ。

 このような人は、「とらえ方、目的・目標」が、劣等コンプレックス――優越コンプレックスに基づいているといえる。

先にも書いたが、自分がマイナス状況である、あるいはできないのは、環境や出来事、周囲の人のせいであるという責任転嫁をするのは、劣等コンプレックスを補おうとする優越コンプレックスである。

料理を例で考えてみる。

同じ食材(過去の出来事)があっても、何を作るか(目標)によって、違った料理(結果)になる。

また、お客さんのために作るか、自分のために適当に作るか(意味づけ・目的)によっても違った結果になる。

「過去の出来事」→「とらえ方、目的・目標」→「結果(としての状況・状態)」

ゆえに、この「とらえ方、目的・目標」の部分が重要になる。「とらえ方、目的・目標」を変えれば、「結果」が変わるということだ。

そして、アドラーは、この「とらえ方、目的・目標」は自分で選択できるという。

自分がどうなりたいのかという「目標・目的」をしっかり持つことで、そのためには「どう物事を捉え」「どう行動するか」が決まってくる。それによって、現状の苦しみが変化してくるということである。

 

4.「ライフスタイル」が人生を決める

 

(1)ライフスタイルとは

 

そして、アドラーは「物事のとらえ方、意味づけ、目的・目標」を「ライフスタイル」と言った。

もう少し言うと、「ライフスタイル」とは、生き方を方向付ける価値観(人生をどのように意味づけ、どのように生きるかの態度。人生の目標や目標へアプローチするための態度なども含む)のことである。

ライフスタイルは、生物学的諸要因(身体的要因、遺伝)や環境諸要因があり、それらの影響の元で本人が自己決定して形成されるという。つまり、生物学的諸要因や環境要因は条件に過ぎなくて、どのようなライフスタイルを持つかは自分で決めるということだ。だから、アドラーはこの「とらえ方、目的・目標」=ライフスタイルは自分で選択できるというのだ。

ライフスタイルは3つから成り立つという。

自己概念(私は~である)

世界像(世の中の人々は~である)

自己理想(私は~でありたい)

 

(2)「ライフスタイル」の形成

 

アドラー心理学では、10歳頃までにライフスタイルは形成されるとされている。

生物学的諸要因(身体的要因、遺伝)や環境諸要因によって形成される。

ここで、甘やかされて育った人は不適切なライフスタイルを持ちやすいという例を紹介する。親から何でも望みを叶えてもらい、甘やかされて育った人は、他者は自分に奉仕する存在で、自分は他者から望むものは何でも得られるという勘違いが生じる。このような子が大人になり社会で生きていくようになると、「自分が他人に何ができるか」ではなく、「他人が自分に何をしてくれるか」を問う生き方になる。

 この人物がある程度周囲に影響力(ある地位についたり)がある場合、人から得ることばかりを期待し考え、他に返そうとしない。

 逆に、周囲に影響力のない(うだつがあがらない)場合、自分に何もしてくれない社会に冷たさを感じ、現実を見ないで妄想の中やネット空間に逃避したり、引きこもったりするようになる傾向がある。

甘やかしは、親が子どもを支配したいという欲求(目標)が隠れている場合が多いという。子どもを自分に依存させ、子どもを自分に縛られた状態にして支配するのだ。

アドラーは、一人っ子と甘やかしの関係について繰り返し述べている。それは、一人っ子というのは「子ども時代にずっと注目の中心にいて、人生の目標は、常に、注目の中心にいる」ことだという(アドラー『個人心理学講義』から)。

このような不適切なライフスタイルは、社会と不適切な関係しか結べないので、不適切なライフスタイルは変える必要がある。

 

5.ライフスタイルを変える

 

(1)不適切なライフスタイルは変えられる

 

アドラーは、今の自分のライフスタイルは自覚してではないが、自分で選択したものだという。ゆえに、それを変えるのも自分の選択でできるというのだ。

年齢が上がるほど、さらには大人になれば、自分のもののとらえ方などを、自分で選択できるようになる。もちろん、無意識的要素は強いとしてもだ。そして、なかなか難しい場合が多いとしても、自分で変化させることはできる。

ものの捉え方に焦点を当てている認知療法と類似性があるが、アドラーのライフスタイルという概念の方が広いといえる。

 

(2)社会と不適切な関係になるライフスタイル

 

アドラーは、社会適応がうまくできないライフスタイルは、コモンセンスではなく、私的理論を用いるからだ、という。

コモンセンスとは普通「常識」のことをいうが、アドラーは、社会や他者、共同体にとって価値あるものの見方と定義する。一方、私的理論とは、自分だけに価値あるものの見方である。

私的理論で行動するとは、自分に価値あるもののみを追求することで、その結果得られるものは、その人だけの利益で、他の人の利益はない。

ここでアドラーの、人間は生物的劣等性を補うために集団を形成したという理論を思い出すと、コモンセンスによって社会・集団の利益を考えるのではなく、自分だけの利益を追求すること(私的理論)は、「よりよく生きる」ために集団を形成したことと反することでもあり、当然、社会的にうまく生きていけないことになるといえる。

 

(3)コモンセンスに基づいたライフスタイルに変える

 

 そこで、私的理論による生き方でなく、コモンセンスに基づいた生き方に変えることが重要になる。

 コモンセンスで生きるとは、社会、他者、共同体の利益を追求することで、その結果、共同体に貢献し、共同体の中で自分が価値ある存在と感じ、その一部であると認識し、生きていくことである。これを「共同体感覚」という。

 ここで、コモンセンスに基づいた共同体感覚を持って生きることの重要性がわかる話がある。

共同体感覚を理解するのに、「共有地の悲劇(コモンズの悲劇)」というものがある。「多数者が利用できる共有資源が乱獲されることによって資源の枯渇を招いてしまうという経済学における法則」である(ウィキペディアより)。

 共同体で共有している土地の共有資源、入会地(いりあいち:集落の人みんなで使う山や海)から得られる資源(果物、山菜、材木など)を、共同体の人たちが、限度を守ってそれぞれ適度に利用している場合には、問題はないが、誰かがこっそり「自分一人くらい構わないだろう」と無断によけいに資源を使いはじめたとする。そして、「自分一人くらい」という人が増えていったらどうなるか。やがて、資源はなくなってしまう。そして、自分も含め共同体が損失を得る。

 このように個人の利益を優先することで共有資源がなくなり、自分の利益も喪失してしまう。アドラー心理学的にいうと、コモンセンスによって維持している共有資源を、私的理論を優先させることで破壊してしまうということである。

 

(4)共同体感覚

 

 もう一度ここで、共同体感覚とはどういうものか確認すると、

「自分の居場所があり、仲間を信頼し、仲間の役に立とうとする感覚」のことである。

もう少し具体的に箇条書きにすると、以下の通りである。

・仲間や仲間が興味を持っていることに関心を持っていること

・所属グループの一員であるという感覚を持っている

・積極的に協力し、仲間の役に立とうとする

・グループ員と尊敬、信頼し合っている

社会、他者、共同体の利益を追求することで、その結果、共同体に貢献し、共同体の中で自分が価値ある存在と感じ、その一部であると認識し、生きていく。それがまた自分の利益でもあるということだ。

もう少し抽象的に表現すると、共同体感覚の基礎は、

①仲間の人間に関心を持つこと

②全体の一部であることの認識

③人類の福利に貢献すること

ということになる。人が全体の一部であること、そして、全体とともに生きていることの認識といえる。

 アドラー心理学では、この共同体感覚がカウンセリングや教育の目標とされ、精神的な健康のバロメーターとみなされる。そして、それは「勇気づけ」のサポートを受けながら獲得していく。

社会適応し、幸福に生きていくためにも、劣等コンプレックス(それから派生した優越コンプレックス)を解消していくためにも、共同体感覚を高めることが必要である。つまり、社会適応がしづらく、なかなか幸福を感じて生きていけないのは劣等コンプレックス――優越コンプレックスがあるから、ということになる。

 

6.共同体感覚を身につける

 

(1)自己利益は考えず、共同体感覚に従うようこころがける

 

 自分の利益ばかりを考えて行動するのではなく、他(共同体・社会)の利益も考えて行動するようにこころがける。

 自己利益だけ求めて自分の優越性を得ようとする人は、他を貶めて自分の優越性を感じようとする。つまり、優越コンプレックスだ。しかし、優越コンプレックスの強い、他を批判したり、他のせいにばかりしたりする人、または、「自分だけよければいい」という気持ちの強い人は、「自己チュー」と非難されることも多く、他から認められない=劣等感が解消されない。そうではなく、共同体(社会)に貢献する人は、他から認められ、劣等感が解消される。優越コンプレックスでは本当の意味で優越性を得ることはできないが、他に貢献することで他から認められ劣等感は解消される。

承認欲求を得るには、自分の利益ばかり追求するのではなく、共同体の利益を追求し、共同体に貢献することが必要だ、ということである。そうすれば、他から認められる(承認)される。

ただ、ここで注意すべきは、共同体から認められることを目的にしてしまうと、自己の優越性の追求と共同体感覚の乖離が生じてしまう。評価されたい(認められたい)というのは自己利益の追求であり、共同体への貢献とは違うものだからである。

あまり強く認められたいという意識を持つのではなく、それは適度にして、共同体の利益を考えて、結果として認められることの方が幸福を感じられるということを認識する必要がある。強く認められたいという意識を持てば、逆に「自己チュー」になり、求めている「認められる」という結果は得られないことになる。

 

(2)自分を受け入れる(自己受容)

 

 劣等感の強い人というのは、なかなか自分を受け入れられない。それで自己を否定して、動けなくなってしまう。最悪な場合、自殺にもつながる。

 完璧な人間などいないという事実を、もう一度しっかり認識することが必要である。そして、不完全な自分を受け入れる。そうすることで前向きに自己を向上させることができる。

 もともと人類は、劣等性から文化・文明を築いた。劣等性はマイナスなのではない。また、人類は劣等性から共同体を形成した。一人の人間の力の弱さ、完璧でないことで、共同体は形成された。そこから考えると、不完全だからこそ共同体の中で生きるということになる。自分に劣等感を抱いて、社会から引きこもってしまうことは、人類の社会形成の歴史から見ても、幸福になる道ではない。

 社会は分業で成り立っている。他の欠点を補い合いながら、自分のできることで社会に貢献する。そうするなかで、他からも承認され、それにより自己受容もすすみ、さらに共同体(社会)の中で生きやすくなる。

 

「自分は誤りを犯すものだということを謙虚に認め、自分の人間的価値が失われるなどとは思わずに誤りを素直に受け入れましょう」

「そして何より、私たちは完璧を求めているのではなく、向上したいだけなのだということをしっかり心にとめておきましょう」

        『勇気づけて躾ける』 ルドルフ・ドライカース(アドラー心理学者)

 

(3)仲間として平等の感覚を持つ(相手の立場に立つ)

 

  同じ共同体に暮らす人は、敵ではなく、仲間であると認識する。

  相手と対等の立場に身を置くようにする。「相手の人の目で見、耳で聞き、心で感じる」ようにする。

 

7.共同体感覚は行為で実践するもの

 

 共同体への貢献は、実際に行動をすることが必要である。

 そして、共同体への貢献は、見返りを求めないことである。見返りを求めるのは、自己中心的な考えである。

 

(1)「得る人」から「与える人」へ

 

 自分が多く得るのではなく、多く与えること=貢献することである。

 与えるものは、物質的なものに限らない。感謝や優しい言葉など、人を勇気づけたり和ませたりすることも、与えることである。

 

(2)「貢献こそ人生の意味」

 

 「今日、われわれの先祖から引き継いできた遺産をふりかえりみるとき、われわれは何を見るであろうか。それらのうちで今日まで生き続けているものはすべて、人間の生活のために彼らが成し遂げてきた貢献のみである」

 「われわれは耕された大地、鉄道や建築物を見る。われわれは、伝承、哲学体系、自然科学、芸術、そして人間としてのわれわれの状況と取り組む諸技術のなかに、彼らの人生経験の伝えられ遺された諸成果を見る。これらすべての成果は、人類の福利のために貢献した人々によって遺されたのである」(『人生の意味の心理学』アドラー)

 

 先祖の共同体への貢献の所産が、今の私たちに恩恵を与えている。このように、社会・人類に貢献することこそ、尊い人生の意味である。

 

8.共同体感覚は人間本来の生き方に目覚めること

 

 人類の劣等性を補うものとして共同生活・集団を形成してきたということ、そして現実に共同体なしで生きることができないことから考えて、共同体感覚を得ることは人間本来の生き方に目覚めることといえる。

 そう考えれば、他を助けること、他に利益を与えることが、その人にとって喜びになるのは当然のことかもしれない。

 

9.人生の3つの課題

 

 アドラーは、人生の課題を3つ挙げている。

①共同体生活(仲間)

②仕事

③愛

人生を歩む上で、仲間・交友関係は欠かせないものである。仕事は、それによって社会に貢献することになり、愛・性は、子孫を残すことで共同体にとって重要な問題である。

 そして、このすべてが人との関係であるということに気づく。これは当たり前と言えば当たり前で、社会とは人の集まりであるから、人間が集団・社会を形成して生きていかざるを得ない以上、「生きる」というとき、人との関係を抜きにすることはできない。

アドラーはこのように言う。

「この問い(人生の3つの課題:仲間・仕事・愛)を解決できるのは、共同体感覚を十分持っている人だけであるということはあきらかである」(『生きる意味を求めて』アドラー)

 

10.共同体感覚は宇宙まで

 

 共同体というとき、さまざまなレベルがある。

家庭、地域コミュニティ、会社、学校、国、民族、人類、地球、宇宙と、共同体感覚は広がってゆく。

アドラーは言う。

「(共同体感覚は)家族のメンバーだけでなく、一族や民族や全人類にまで広がりさえする。それはさらにそういう限界を超え、動植物や他の無生物にまで、遂にはまさに遠く宇宙にまで広がることさえある」(アドラー『人間知の心理学』)

家族にとって善きことでも、地域コミュニティにとって悪いことならば、その行為は適切なものとは言えない。

 さらにレベルを上げると、地域コミュニティの上には国家があり、国家の上には人類がある。こうして共同体のレベルを上げていくと、全人類に行き着く。

 したがって、より上位の共同体感覚は、国や民族への奉仕ではなく、人類全体を包括する共通の利益や福祉に貢献することになる。

 

 

11. 勇気づけの心理学

 

これまで見てきたように、共同体感覚に基づいたライフスタイルに変えることで問題行動が解決し、社会の中で幸福に生きていけるとアドラーは説く。

 そして、そのようにできるように「勇気づけ」、援助していく。その方法を見ていく。

 

(1)カウンセリングの進め方

 

①クライアントの話を聞きながら、不適切なライフスタイルを見つける。

②それが不適切なライフスタイルであることを本人に理解させる。

つまり、そのライフスタイルによって自分が苦しんでいることを理解させる。

③新しいライフスタイルを構築する手伝いをする。

建設的で人生を豊かにするライフスタイルを提示し、それを身につける援助。

 

(2)勇気づけとは?

 

前向きに困難に立ち向かう意欲(活力)を与えることが、勇気づけである。

そのためには、相手を尊重して共感する態度が必要になる。

 

①「ほめる」ことと「勇気づけ」の違い

 

勇気づけは、ほめることとは少し違うので、その違いを述べる。

 

   ほめる                  勇気づけ

相手が達成したとき             達成したときも失敗したときも

一種の褒美として上から下への関係      ありのままの相手に共感する

行為した人に与えられる           行為に対して与えられる

口先だけと受け取られかねない        心からのものとして相手に通じる

その場限りの満足感             明日への意欲を生み、継続性高い

 

(波及効果)

ほめる・・・他人との競争に意識が向かい、周囲の評価を気にするようになる。

勇気づけ・・・自分の成長・進歩に意識が向かい、自立心と責任感が生まれる。

 

勇気づけの例

 「○○さんの願いが叶って、私も嬉しい」

 「(何か成功したことに対して)これは、○○さんが努力してきたことだよね」

「○○さんのサポート、とても助かったよ」

 

勇気づけができる人は、自分の欠点や弱さを客観的に認めて、ありのままの自分自身を受け入れている人である。また、失敗・挫折から学ぶことができる人、楽観的でもある。

劣等感・劣等コンプレックスをある程度超えている人といえる。

 

②勇気をくじく言動

 

相手の人格を否定する。

  問題それ自体を議論するのではなく、その人の知性や性格、性別、学歴、家柄などを攻撃する。これでは、意欲は減退する。

  「やっぱり、学歴低いヤツはだめだな」「所詮、女には無理なんだよ」

  こういうことを言う人は、劣等感にとらわれているといえる。

 

③自分を勇気づける

 

上記のことは、自分を勇気づけることにおいても同様である。

自分の欠点や弱さを客観的に認めて、ありのままの自分自身を受け入れる。また、失敗・挫折をしても自分の人格を否定するのではなく、何が至らなかったかを探り、改善に向かう。失敗・挫折から学ぶのだ。

 

 

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